インターネット上の風評被害と表現の自由
私は令和8年1月から、総務省所管の制度に基づいて設置される「侵害情報調査専門員」として、インターネット上の投稿による権利侵害の有無を専門的に調査する業務に携わっています。
インターネット上の誹謗中傷は、個人や団体の社会的評価を短期間で大きく低下させ、投稿が削除されない限り被害が長期間継続するという深刻な問題を有しています。したがって、表現の自由を理由として、虚偽の事実を摘示する投稿や人格攻撃まで広く許容すべきだとは考えていません。
しかし、権利侵害への対応に携わる立場だからこそ、裁判所がインターネット上の表現そのものの削除を命じることについても、慎重な検討が必要であると考えています。
とりわけ、その表現が、公金を受給する団体の活動や会計処理、行政の監督体制、社会政策の在り方を批判するものである場合、単なる私人間の誹謗中傷とは異なる考慮が必要です。
女性支援団体に関する動画の削除を命じた東京高裁判決には、名誉権の保護だけでなく、公金監視や政策論争に対する萎縮効果という問題があります。風評被害・名誉毀損と表現の自由の境界を弁護士が解説します。
女性支援団体に関する動画の削除を命じた東京高裁判決
令和8年8月27日、東京高等裁判所は、女性支援団体に関する動画を投稿した川崎市議会議員に対し、22万円の損害賠償に加え、名誉毀損と認定された発言部分の削除を命じました。
一審の東京地方裁判所は、同市議が投稿した19本の動画に含まれる47の発言等について名誉毀損を認め、22万円の支払いを命じていましたが、動画の削除請求は認めていませんでした。
これに対し、高裁は一審判決を変更し、違法と判断された発言部分がインターネット上に残り続けることによって名誉権侵害が継続するとして、その削除を命じました。
今回問題となった発言には、自治体から委託費を重複して受領した、二重に受領した金銭を裏帳簿で処理した、裏金を作っていたなど、具体的な不正行為の存在を示すものが含まれていました。
政治的、社会的な問題についての発言であっても、具体的な犯罪や不正行為の存在を断定する場合には、当然、その根拠が求められます。裁判所がこれらの発言について真実性又は真実相当性が認められないと判断した以上、発言者が民事上の責任を負うこと自体には相応の理由があります。
もっとも、損害賠償責任を認めることと、過去に公開された動画の削除を命じることとは、分けて考える必要があります。
「すべて根拠のない疑惑だった」ともいえない
本件については、女性支援団体に対する指摘はすべて根拠のないものであり、会計上の問題も一切存在しなかったかのように説明されることがあります。
しかし、このような整理も、東京都が公表している監査結果とは必ずしも整合しません。
東京都監査委員は、令和3年度の若年被害女性等支援事業に関する委託料の精算について、「不当な点」が認められるとして、東京都に経費の実績額を再調査し、客観的に検証可能なものとするよう勧告しました。
その後の再調査では、管理台帳の誤記、領収書の宛名、支援内容の説明不足、経費の按分未実施、自主事業に係る経費の計上などが確認されました。また、団体が領収書の一部提示を拒否したため、支出の証拠書類として不十分とされたものもありました。
その結果、合計192万6085円が事業経費として認められず、対象経費から除外されています。さらに、領収書の一部を提示しなかったことは仕様書の規定に反するとして、団体に対する改善指示も行われました。
一方、対象経費から約192万円を除外した後も、事業経費の実績額が委託料の上限額を上回っていたため、東京都は委託料の過払いはないとして返還請求を行いませんでした。
したがって、正確な事実関係は、「不正受給が認定された」というものでも、「会計上の問題が一切なかった」というものでもありません。
委託料の精算には不当な点があり、約192万円が事業経費から除外され、領収書の不提示について改善指示が行われたものの、委託料の過払いまでは認められなかった、というものです。
このような複雑な事実関係について、市民や議員が疑問を呈し、行政の審査や監督の在り方を批判的に検証すること自体には、高い公共性が認められます。
公金を受ける団体には広い説明責任がある
補助金や委託費を受給したからといって、その団体が名誉権や人格権を失うわけではありません。公金を受ける団体に対しても、虚偽の事実による名誉毀損が許されないことは当然です。
しかし、公金を原資として事業を行う以上、その使途、会計処理、事業の実態、支援対象者との関係及び行政との連携について、一般の私人よりも広い説明責任を負うこともまた当然です。
税金を原資とする事業について、市民や議員が資料を調査し、疑問を示し、行政の選定や監督の在り方を批判することは、公金支出に対する民主的統制の一部です。
そのため、公金を受給する団体に対する批判については、具体的な犯罪や不正行為を根拠なく断定することは許されないとしても、表現の厳しさや一定の誇張を含め、通常の私人に対する批判よりも広い受忍限度が認められるべきです。
実際に補助金交付決定が取り消された女性支援事業者もある
東京都の若年被害女性等支援事業をめぐっては、実際に補助事業者について重大な不適正事案が発生しています。
同事業の補助事業者として採択されていた公益社団法人「日本駆け込み寺」では、元理事・事務局長が令和7年5月、コカインを所持していたとして現行犯逮捕されました。
当時同行していた20代の相談者女性からも薬物反応が確認され、同じく逮捕されたと報じられています。なお、相談者女性について、未成年者であったとの事実は確認されていません。
その後の刑事裁判では、元事務局長自身のコカイン所持・使用に加え、支援する立場にあった相談者女性にコカインを勧めたことも認定されました。東京地方裁判所は、支援者という立場でありながら違法薬物を使用し、相談者に勧めた行為について、社会的非難を免れないと指摘し、懲役2年、執行猶予4年を言い渡しています。
東京都も、若年女性の安心・安全を確保するための事業内容に不適正な事実があったとして、同法人に対する令和5年度及び令和6年度の補助金交付決定を取り消しました。
取消額は合計3296万3000円、既に交付された補助金の返還命令額は合計2355万7000円に上ります。
取消しの根拠とされたのは、補助事業者に対し、「若年被害女性等が安全で安心して支援を受けることができる環境」を整えるよう求めた事業実施要綱に違反したことでした。
この事案は、団体が掲げる活動目的の公益性と、その団体の会計、組織運営、ガバナンス及び支援内容の適正性とは、別の問題であることを端的に示しています。
女性支援という社会的に重要な目的を掲げていることは、事業者に対する検証を緩める理由にはなりません。むしろ、補助事業の対象には、虐待や性暴力などの被害を受けた10代、20代の女性も含まれます。支援者と支援対象者との間に大きな力の差があることを踏まえれば、一般の補助事業以上に厳格な選定、監督及び情報公開が求められます。
現実に、東京都が多額の補助金交付決定を取り消し、返還を命じるほどの事態が発生している以上、同種の補助事業や受給団体に対して、市民や議員が厳しい目を向けることには十分な合理性があります。
社会政策を提言する団体は公共的な言論主体でもある
本件女性支援団体は、単に支援事業を行うだけでなく、売買春規制の見直しや買う側に対する処罰の導入などについて、行政機関への意見書提出や国会議員に対する要請活動も行っています。
性売買をどのように規制するのか、成人間の合意や性的自己決定をどこまで尊重するのか、保護と自己決定の境界をどこに置くのかは、憲法上の自己決定権や私的自治にも関係する重要な政策課題です。
これらについては、女性の保護を重視する立場、本人の自己決定を重視する立場、処罰による弊害を懸念する立場など、様々な意見があり得ます。特定の支援団体の見解だけが、批判を許さない唯一の正解として扱われるべき問題ではありません。
公金を受給しながら、国や社会の制度を変更するための政策提言にも積極的に関与する団体は、純粋な私人というだけでなく、公共的な言論空間に参加する社会的、政治的主体という性格も有しています。
その政策的主張、行政との関係、公金の使途及び組織運営について、一般の私人より厳しい批判を受けることは、一定程度受忍すべきであると考えます。
動画削除命令がもたらす萎縮効果
インターネット上の動画が残り続けることによって、名誉権侵害が継続するという裁判所の問題意識は理解できます。
しかし、裁判所による削除命令は、過去に行われた言論を社会から消去させる強力な措置です。
長い動画の中から多数の発言部分を削除する場合、前後の文脈が失われ、実際には動画全体を削除せざるを得なくなる可能性もあります。その場合、違法と判断された個別の発言だけでなく、動画に含まれていた適法な調査結果、行政への批判及び政治的意見まで、事実上失われることになります。
また、公金を受ける団体について発信した結果、多数の発言を対象として訴訟を提起され、損害賠償に加えて動画の削除まで命じられるとなれば、一般市民、ジャーナリスト、地方議員などが、同種の問題を調査し、公表することをためらう可能性があります。
この萎縮効果は、公金の使途や行政の監督を市民が検証するという、民主社会にとって重要な言論に及びます。
裁判所としては、削除を命じる前に、判決結果や訂正情報の併記、問題となる発言に対する注記、反論ページへのリンクなど、表現の自由への制約がより小さい方法によって名誉回復を図ることができないかを、十分に検討すべきだったのではないでしょうか。
女性支援への批判と女性差別は同じではない
虚偽の事実を摘示して団体の社会的評価を低下させることが許されないのは当然です。
しかし、女性支援という活動目的の正当性と、個々の支援団体の会計、ガバナンス、支援方法及び政策的主張の妥当性は別問題です。
女性支援団体への批判を直ちに女性差別や支援活動への攻撃と位置付けてしまえば、本来必要な公金監視や政策論争まで封じられることになります。
本件高裁判決は、具体的な不正行為を断定する発言には、十分な事実的根拠が必要であることを改めて示しました。その点は重く受け止める必要があります。
一方で、損害賠償を命じるだけでなく、政治的・社会的問題を扱った動画の削除まで命じたことについては、その必要性と相当性を慎重に検討しなければなりません。
公金を受給し、政策形成にも積極的に関与する団体には、一般の私人より広い説明責任と、批判に対する一定の受忍限度が求められます。
裁判所も、名誉権の保護だけでなく、削除命令が公金監視、行政批判及び政策論争に与える萎縮効果を、より重く考慮すべきであったと考えます。
松本
